エッセイ

エッセイ · 10日 4月 2024
 私は、早稲田大学が大好きです。自宅が、下駄で歩いて10分くらいの所で、まかない付きの下宿屋をしており、早稲田の学生ばかりでした。受験は、早稲田一本で、一浪して、昭和35年第一文学部ロシア文学科に入り、昭和39年に卒業しました。大濱信泉総長のもと、そうそうたる名物教授に学びました。入学した年は、岸内閣による新安保条約調印で、歴史的な反対運動でした。連日デモが行われ、東大女子学生樺美智子さんが、国会前で犠牲になりました。文学部では、前期ほとんど授業が行われませんでした。秋には、球史に残る早慶六連戦で勝利し、歓喜にわきました。2年生から、戸山キャンパスの近代的な校舎に移転でした。 市川染五郎、北大路欣也らが下駄と角帽子で登校していたり、吉永小百合が文学部の名物、長いスロープを歩いておりました。  砂川昌平立川稲門会2代会長の告別式で、告別式で、校旗のもと、校歌を心をこめて歌ったこと、忘れられません。鈴春の社長鈴木健一3代会長の推挙で役員にしていただき、現在に至ります。125周年記念の大学への寄金を鴛海量良(おしうみかずよし)5代会長のもと、立派に果たしました。  志村順子6代会長、副会長鈴木一廣・広瀬俊夫、幹事長小林章子、意欲的な役員体制で、会員を増やし(特に女性会員)、数多くの楽しいイベント、錦織さんの広報活動などで、会員が大変楽しんで下さいました。  83歳になり、五木寛之さんの「下り坂の人生」を、じっくり歩いております。企業・団体の「人材開発・育成コンサルタント」として、71歳まで働きました。その少し前、先輩の鈴木茂夫さんのお誘いで、立川市の生涯学習に、ボランティアで参加し 10年余り、真剣に楽しく活動させていただきました。  禅を世界に広めた、仏教哲学者鈴木大拙(1870~1966)年の言葉に、「歳をとらねばわからないことがある」とあります。確かに80歳過ぎから、世の中の出来事、生老病死などについて、深く考えたり、気づくことが多くなりました。今でも、いくつかの委員会、サークル、ボランティアなどで社会に関わっております。高齢化時代と強く言われながら、高齢者の参加が大変少なく (特に男性)残念です。80代の高齢者として、少しはお役に立つこともあり、喜んでいただけ、ありがたいことと感謝し、「人生二度なし」と過ごしております。  (広瀬俊夫)   
卒業60年
エッセイ · 04日 3月 2024
昭和38年(1963年)に第2理工学部建築学科を卒業し、大阪に本社のある中堅ゼネコンに就職しました。 22年間は現場(北海道、岩手、宮城、茨城、群馬、埼玉、東京、神奈川)で働き、その後8年間は海外事業部(主としてグアム)、そして7年間は東京本店勤務となり、2000年6月に定年退職しました。

エッセイ · 31日 1月 2024
 原田さんに続いてのエッセイ、うれしいです。というのは、原田さんのご両親の出身が長野県飯田市、私は、その近くの岐阜県中津川市苗木出身。1998(平成10)年には、飯田-中津川間を高速バス「いいなかライナー」が走り始めました。このネーミング、気に入っていたものの廃線となってしまいましたが、2027年開通は微妙なものの、飯田・中津川とも、品川-名古屋間500キロを40分で結ぶリニア中央新幹線の停車駅となっています。  1989(平成元)年に、結婚して立川市錦町のアパートに住む際には、妻は立川市勤務、私は松戸市勤務、中間点で妻の実家のある埼玉で、武蔵野線沿線に住もうかと思っていたところ、妻の希望で立川に住むことになりました。その後、現在の羽衣町に引っ越し、立川とのご縁から立川稲門会、町内会活動など、定年退職後も楽しい時間を過ごせることに感謝しています。立川との縁を作ってくれた妻にも感謝です。  1月20日に行われた新年会では、本当に立川稲門会に入っていてよかったと思いました。幹事長として、初の行事ということで、皆さんに楽しんでいただきたいと思っていたものの、大勢集まるか、うまくいくか緊張していました。なかなか出席人数が増えない中、いつ再度の呼び掛けをしようと迷っていた時に、小林会長からのグッドタイミングの忠告メールが届き、それに従うとみるみる参加者が増え、結局31人になりました。  初参加の27歳小沢さんから92歳の鈴木大先輩まで、幅広い年齢の会となり、会場が狭いのではと心配していたところ、逆に新人等紹介では、自己紹介の後に、声が届きやすいこともあってか多くの質問が出て、盛り上がりました。海外勤務経験のある方も多く、早稲田の進取の精神を感じました。  盛り上がったところを見てか、小林会長が17時から90分の飲み放題の時間を延長してくださり、当初19時閉会予定のところ、20時までいることができました。また、特等から5等までのゴディバのチョコレートの寄付に加え、校歌の後のエールもしてくださいました。佐竹副会長兼会計幹事は、いつの間にかお店の支払いを済ませてくださり、参加皆さん宛の領収書まで作ってくださっていました。小林章子副会長も、事前にお願いしていなかったのに、景品を狭い中うまく並べ、皆さんが選ぶのによいアドバイスをしてくださいました。原田さんは、校歌を準備してくださり、柴さんは、景品抽選会で、大倉さん、高橋さんは、受付で、事前にお願いした以上に、活躍してくださいました。  終了後、志村元会長が、率先して皆さんの名札を集めてくださったのも、素晴らしいと思いました。素敵なメンバーが揃っている立川稲門会、是非多くの方に入会・行事に参加していただき、一緒に10月6日(日)の50周年記念祝賀会を迎えられたら、最高です。 ( 伊藤裕康記)
エッセイ · 12日 12月 2023
立川稲門会のホームページにエッセイを掲載するにあたって何をテーマにするか考えたとき、やはり立川について書くべきかと思う。 私は立川生まれの立川育ち。また、立川とその周辺に私のいとこは、亡くなった人も含めれば、10人以上はいる。しかし、父も母も長野県飯田市出身。その詳しいいきさつを私は実は比較的最近従姉から聞いて知った。...
エッセイ · 06日 11月 2023
エッセイが始まります。まずは、小林会長が執筆します。