卒業60年
昭和38年(1963年)に第2理工学部建築学科を卒業し、大阪に本社のある中堅ゼネコンに就職しました。
22年間は現場(北海道、岩手、宮城、茨城、群馬、埼玉、東京、神奈川)で働き、その後8年間は海外事業部(主としてグアム)、そして7年間は東京本店勤務となり、2000年6月に定年退職しました。
昨今、建設現場の残業問題が話題となっておりますが、私が現場に居たころと同じ状況が続いていると感じます。
現場では建築主、施主(公共工事であれ、民間工事であれ)との約束の工期は絶対に守らなければなりません。
昨年7月に卒業60年のクラス会がありました。102名の同級生のうち18名参加しました。31名が亡くなられています。
年齢からすれば致し方ない事ですが、一方では現役で活躍している元気な者が10名近くいます。
アメリカで大学教授をしている同級生は、来日の日程が合わず欠席でしたが、福岡や広島からの参加がありました。
理工学部が大久保に移ったのは創立80周年の記念事業で、私たちの時代は戸塚でした。グランド坂通りを隔てて安部球場がありました。
製図室のある校舎は木造2階建てで床の油のにおいが独特でした。
それで卒業60年のクラス会は、グランド坂下の「金城庵」にしました。
学生時代は金城庵の「海老天丼」は高価で食べられませんでした。
1995年頃、所用で大学を訪れた時にその「海老天丼」を注文しました。
美味しかったです。
昭和38年第2理工卒 波多野 進
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